毎日新聞 2月17日(木)11時59分配信

 ◇「払ったら、すっからかん」
 「あのころ、国保税を払ったらすっからかんになった。パートの給料で支払える額ではなかった」。県南部の女性は、数年前までの暮らしを振り返って顔をしかめた。
 20年以上前に離婚。女手一つで2人の息子を育ててきた。
 工場で働くが、手取りが月7、8万円なのに対し国保税や年金で4万円近くが消えた。
 息子の一人は高校生の時に精神疾患となり、年に1、2回入院する。薬代に多いときは1万円以上、入院すれば月10万円近くが必要。息子には障害者年金があったが、とてもまかなえる額ではなかった。
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 女性はかつて看護補助職として病院に勤務。「子供に不自由はさせられない」と仕事に打ち込んだが、子供の発症後に自身もうつ病になり、一時休職せざるを得なかった。
 布団から起き上がるのもつらく、食べものものどを通らないような日々が2カ月近く続いた。「自分が死ねばいいんだ」と思ったこともある。「子供を見捨てるわけにはいかない」と何とか職場復帰を果たしたが、今度は腰と手首の痛みに悩むことに。04年には仕事を続けることを断念せざるを得なかった。
 体への負担を考えた転職だったが、収入は半減。さらに正職員からパートになったことで、新たに国保税の負担がのしかかった。
 「社会に迷惑はかけまい」という思いと「正社員への道あり」という募集用紙の言葉を信じ、少しの間の辛抱だと病院の退職金約60万円を取り崩しながら国保税を払い続けた。だが待遇は変わらず、預金は半年近くでほぼ尽きてしまった。
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 その年の秋、意を決して国保税の減免ができないかと考え市役所を訪ねた。だが担当者は詳しい状況を確認しないまま「生活保護の水準でなければ受け付けない」と告げた。何度行っても、答えは同じだった。
 困って面識のあった保健師に相談すると「そんなに苦しいのなら」と生活保護の受給を勧められた。
 「そこまではしたくない」。生活保護への先入観もあってかなりためらったが、最終的に保護申請を決めた。ところが今度は、市福祉事務所の職員が壁になった。「もうちょっと頑張れば正社員になるのでは」「(国保税が)払えなくなったって決まったわけではない」。何回足を運んでも、申請書類を受け取らない。最後は親類の男性に付き添ってもらい、生活保護が認められたのは翌年2月だった。
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 現在の生活について「医療費や税金を免除され、とてもありがたい。ケースワーカーも親身に相談に乗ってくれる」と感謝。その一方でこう考えている。「車の使用などの制約が多く、不自由なのも確か。生活全部でなくてもいいので、医療費や保険料の負担を減免してくれる生活保護の手前の段階で支えてくれる仕組みはないのでしょうか」=つづく

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110217-00000092-mailo-l05
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