THE PAGE 1月5日(火)17時0分配信

 すべての人に権利として、一定の所得を給付する「ベーシックインカム」。フィンランドやオランダで、このベーシックインカムの給付実験に向けた動きがあります。これらの国でベーシックインカムを実現しようとしている人たちの多くは、ベーシックインカムの導入が「必要で望ましい」というだけではなく、導入が「不可避」だとも考えています。それはどういうことなのでしょうか。こうしたヨーロッパでの動きの背景にある事情を、日本はどれほど共有しているのかについて考えてみたいと思います。(同志社大学教授・山森亮)

「賃金が支払われない労動」の軽視
 まず現代の社会がどのような課題を抱えているか、みてみましょう。

 一つには、私たちの社会は、賃金を支払われ、それがGDPにカウントされ、経済学者が労働だと考える仕事だけでは、回っていないということです。子どもが生まれ、すくすく育って行かないと社会は立ち行きません。家庭内の家事、育児、介護。子どもやお年寄りの居場所作りなど、地域のために汗を流す人びと。こうした人びとの労働の多くは、賃金の支払われない労働(アンペイドワーク)か、賃金が低い労働(アンダーペイドワーク)です。

 私たちの知っている経済の仕組みは、こうした労働に時間を割く利他的な人々を“罰する”傾向があります。そうした活動に従事している時間への対価がなかったり低かったりするだけではありません。社会や地域のためのアンペイドワークに時間を割くことなく、比較的高い収入を得ている人びとと比べた場合、年金、雇用保険など社会保障の面、賃貸住宅への入居から、住宅購入時のローン審査まで、生活の多くの側面で、不利益を被りがちです。

 おそらく社会運動としてのベーシックインカム要求として最大のものは、1970年代のイギリスやアメリカにおける、シングルマザーを中心とした女性たちの運動でしょう(2014年8月1日THE PAGE関連記事)(http://thepage.jp/detail/20140801-00000014-wordleaf)。

 地域や社会のための不払いで見えない活動に光を当てた彼女たちの運動への、資本主義の側の回答を代表するのは、1979年にイギリス首相となった保守党の政治家マーガレット・サッチャーの「社会などというものはない」というものでしょう。サッチャーらが押し進めた資本主義のネオリベラリズム的展開は、女性たちの運動のなかで希求された自由を求める声を簒奪(さんだつ)し、市場のもとでの自由へと水路づけていきました。

 その結果、社会に必要な「不払い労働」に人々が従事できる時間とエネルギーをどんどん奪っていきました。たとえば日本における少子化は、そうしたネオリベラリズムの帰結としてあるのだと思います。

失業者に押し付けられる「技術革新」コスト
第二に、コンピューター技術の進化などに代表される技術革新、オートメーションの進展によって、賃金が支払われる形態の労働は、数を減らし、またその多くの賃金は、それで生活を支えるのが難しいほど低くなってきています。

 オックスフォード大の2人の研究者が2年前に公表した研究によれば、アメリカの今ある仕事(支払い労働)のうち47%は、オートメーションによって消滅するだろうといわれています。現在のネオリベラリズムのもとでは、こうしたオートメーションのコストは、失業者に押し付けられている訳ですが、オートメーションが私たち人類に取って良いことであるならば、そのコストは社会化しなければなりません。

 第三に、とはいえ、多くの人が食えなくなってしまえば、その国の政府は政権を維持できません。ネオリベラリズムの枠内でできることは、ひたすら経済成長を追い求めることだけです。これがどこまで雇用を生めるかの評価は別として、私たちの地球の有限な環境に悪影響があり、持続可能ではないことは、ますます明らかとなっています。廃棄物や事故によって、環境を汚染し続ける発電方法などは、その一例でしょう。現状では、それによって人びとの生活が支えられている地域があるわけです。

 第四に、現行の社会保障制度は、機能不全に陥っています。もし人が飢えて死んでいくことを良しとしないのであれば、新しい制度を構築し直さなければなりません。日本の生活保護制度にあたる仕組みは、北欧や西欧では、2008年の金融危機まではまがりなりにもセーフティネットとして機能していましたが、金融危機以降の緊縮策のなかで、大きく後退し始めています。

 それは財源の問題というより、制度の哲学に起因する問題です。現行の社会保障制度は、生活上のリスクには原則的には,社会保険制度によって対応し、税を財源とした生活保護的な仕組みは、あくまで一時的例外的な事例として設計されてきました。金融危機以降の経済状況の悪化は、一方で、後者の受給者が増大し、他方で、その増大を受け入れられない多くの市民による福祉受給者に対する悪感情を増幅させました。

 イギリスでは、こうした「市民感情」を利用しながら、福祉削減が行われた結果、この数年で2000人以上の人が死に追いやられていたことが明らかになりました(今年8月27日のガーディアン紙記事)。もちろん、現場で働く福祉職員たちは、そうした政府の方針に対して、消耗しながらも、声を挙げ始めています。

 オランダ各都市での給付実験に向けた動きの立役者の一人シアー・フイマカーさんは、「現在の福祉制度は、人間不信に基づいた仕組みで、行政関係者は、救いを求めて行政にたどり着いた人たちを、疑いの眼差しで見ざるを得ない状況に追い込まれています。その矛盾は、金融危機以降、どんどん酷くなり、もう沢山だと考える行政官も増えて来ているのです」と、これらの自治体が実験に向けて奔走するにいたった背景を説明しています。

オートメーションのコストを「社会化」
 ベーシックインカムを導入すると、どのような効果が期待できるのでしょうか。

 まず第一に、オートメーションのコストを社会化するものだと考えることができます。導入されれば、とりあえず生活の保障が、希少な支払い労働によるものから、ベーシックインカムによるものに変更されます。第二に、子育てや介護、地域のための活動など、社会にとって必要だが支払われない労働に従事する時間を、多くの人に与えます。第三に、持続可能な経済活動のかたちを考える時間を人々に、猶予を各国政府に与えるでしょう。(ただしこれら第二、第三のことが、有効な形で行われる保証は、ベーシックインカムという制度には担保されていません。ネオリベラリズムにはなかった可能性が、ベーシックインカム下では生じるというだけです)。第四に、機能不全に陥っている現行の社会保障制度を、ベーシックインカムを中核におく新しい制度によって、立て直すことが可能になります。

日本でも共有する現代社会の課題
 上記の4つの問題は、フィランドやオランダだけではなく、日本も共有している問題です。現行の社会保障制度の機能不全は、日本の場合、金融危機以前から深く進行しており、深刻といえます。1990年代後半の時点で、生活保護の基準以下で生活している人のうち、実際に受給している人の割合は2割前後でした。その割合は、その後も悪化する一方です。同時代にイギリスでは9割近かったことと比べると、その数字の意味を理解していただけるのではないかと思います。

 もちろん、フィンランドと日本の間には、大きな違いもあります。フィンランドでは、ベーシックインカムの給付実験を掲げる政党が現に選挙で勝利していますが、日本では、そのような状況にありません。導入の実現性について、政治的可能性と制度的可能性に分けて考えれば、前者の政治的可能性については、フィンランドと日本の間に大きな距離があるといえるでしょう。とはいえ、後者の制度的可能性については、フィンランドと日本の間にそれほど、大きな違いはないのではないでしょうか。

 オートメーション、アンペイドワーク、ネオリベラリズム、福祉の機能不全。日本でも共有するこれらの問題をどう解決していくか、考える動きが広まることが望まれます。
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