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8月11日14時8分配信 産経新聞

 戦時中、多くの国民が軍需工場で働き、年金に加入した。しかし、米軍の爆撃目標となり、死と隣り合わせで働いた時代。当時の年金が受給できると思わず、記録漏れのある人が多い。年金記録問題を契機に関心が高まったが、手続きをしても古い記録が見つかるまでに時間がかかる場合もある。対象者はすでに高齢。「大変な時代の記録がないことが辛(つら)い」との思いも強く、対応が急がれる。(寺田理恵)

 ≪天引きのため…≫

 厚生年金制度が始まったのは昭和17年6月。戦費調達のためといわれ、徴用工や女子挺身(ていしん)隊員だった人は年金保険料を納付した可能性が高い。ところが、戦時中の年金を請求しなかった人が多いようだ。

 軍属や軍直営工場の徴用工らの場合、加入先の陸軍や海軍の共済が終戦で解散したものの、これら共済は「旧令共済」と呼ばれ、一定の条件下で厚生年金の額に反映される。それには当時の職歴を探す申し立てが必要だが、制度自体があまり知られていない。

 千葉県君津市の石川徳治(とくじ)さん(91)は「掛け金が天引きだったので、年金が念頭になかった人が多いのでは」と話す。

 石川さんは最初の出征から戻った後、17年1月から18年10月まで、木更津市にあった海軍航空廠(しょう)に軍属として勤務し、海軍共済に加入した。その後、再び出征し、千島で終戦を迎えた。「徴用工と違い、横須賀鎮守府の雇員(こいん)だったので、2度目の出征中は留守宅に家族手当が支払われました。父が明細をとっておいてくれたので、掛け金を引かれていたのが分かります」

 ただ、旧令共済期間が年金額に反映されるには、厚生年金加入1年以上が条件。農家の石川さんは国民年金だけのため、適用されない。自分の年金をあきらめ、同じ航空廠で働いた知人2人の旧令共済期間が認められるよう証明した。

 ≪記録ないことが…≫

 埼玉県の男性(91)は「敗戦ですべてがほごにされたと思い、制度が存在しているとは考えませんでした」。男性は、昭和15年、中島飛行機に入社し、戦闘機などの設計に従事した。「夜間爆撃で下宿先を焼かれ、飛行場ではグラマン機の地上襲撃を受け、もう駄目かと思った」と振り返る。

 戦時中の記録漏れに気づいたのは、「ねんきん特別便」を受け取ったとき。中島飛行機の辞令などを添えて記録確認を求めたが、確認まで1年半もかかった。半ばあきらめていただけに、家族も「お金より、記録がないことが辛かった。元気なうちに見つかってよかった」と喜ぶ。

 記録確認に要する時間は、事例や地域によってまちまち。社会保険庁は「今年3月末までに受け付けた回答については、今年中に終わらせる」とするが、対象者はすでに高齢だ。

 社会保険労務士の今泉善雄さんは「戦時中の年金の対象者は高齢のため亡くなったり、記憶があいまいだったり。窓口の担当者もベテランが減り、当時の工員手帳を見ても理解できない事例があった。記録があっても結び付かないケースが多いのではないか」と話している。

 ■軍需工場の年金

 軍需工場で働いた期間の年金には、民間の「厚生年金」と陸海軍直営工場の「旧令共済」がある。中島飛行機や東洋通信機、三菱重工業など民間の軍需工場では、厚生年金に加入した。

 旧令共済は、(1)旧陸軍共済組合(2)旧海軍共済組合(3)朝鮮総督府逓信官署共済組合(4)朝鮮総督府交通局共済組合(5)台湾総督府専売共済組合(6)台湾総督府営林共済組合(7)台湾総督府交通局逓信共済組合(8)台湾総督府交通局鉄道共済組合。終戦で解散したが、厚生年金期間1年以上など条件を満たす場合、旧令共済期間のうち昭和17年6月~20年8月が厚生年金に反映される。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090811-00000577-san-soci
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2009.08.16 Sun l 年金 l top ▲
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